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ヨウシとヨウカイ [日記]

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今月に入ってから、ずっとヨウシとヨウカイを待っている。 何の話かというと、両親の介護認定の話。 ヨウシは母の要支援、ヨウカイは父の要介護認定だ。 父が認定疾患の申請をしたのが4月上旬。パーキンソン病だというので、遠方の九州で老人二人暮らしはもう無理だと判断し、弟と相談の上、5年前まで住んでいた埼玉に転居させることにした。 私も県内だが、諸々の手続きや病院探し、送り迎えなどを考えて両親の近くに住めるよう6月中に転居した。 7月1日に転入の手続きと同時に介護保険の申請をした。 介護保険は申請から認定が降りるまで、ひと月からひと月半はかかるとのこと。 引越し早々に父は何度も転倒し、怪我をし、食事を取らなくなったことで市内の病院に入院し、転居前から予約していた小平にあるそのスジでは有名な国立病院で詳しい検査をして、診断結果をもらうこととなった。 いつの間にか、完璧な「認知症患者」となって、今、引っ越してきたばかりの家をやっと「自分の家」と認識しつつある。

最初にもらった病名は「パーキンソン病」だった、10年以上前は「むずむず足症候群」だったようだけど、その後だんだんと症状は進行して、脳は確実に変化して行ったようだ。 こちらの病院でついた診断は「レビー小体型認知症」精密検査の結果、パーキンソン病、脳内に動脈硬化もあり、アルツハイマーも合併しているそうだ。 医者は思ったより深刻で、治療の方法はないと言った。 もうすでに「医療」より「介護」の段階に入ったのだと、やっと理解した。

まだ筋力があり、歩きたがって立ち上がり、しかしバランスを保てずに転倒しやすい状態。 認知能力は落ちているけど、拘束されるのは当然嫌がり、要求が通らないと不機嫌になる。 レム睡眠行動障害とう、やっかいなおまけつきである。 入院させるとしても「社会的な入院」になりそうで、この状態の患者を受け入れる先はなかなか見つからない。 デイサービスなども受け入れ先はかなり限定されるだろう。 探してもらってはいるが、短期間でのことでなかなか話は進んでいかない。 父はおそらく「要介護認定」は降りるだろうとのことで、ケアマネさん(になる予定の人)と相談し、暫定で昨日から身体介護のヘルパーさんに来てもらっている。 要介護は1~5まであるけど、どのランクになるかで使えるサービスがかなり違ってくる。 せめて「ヨウカイ2」は欲しいのだけど・・・。 母は持病があるので要支援(ヨウシ)の認定を待っている。 父の介護もあるし、体力を落とさないよう、リハビリだけでも受けられるといいのだけど。

人は長生きすると必ず病気になるんだな。 長生きと引き替えに色々な代償を払うのだな。 日本の医療はとても優れているけれど、どれも高価なサービスであることに変わりはないな。 だけど、今のところ使い切れないほどのお金があっても「不老・不死」は買えないようだが・・・。 

今年の夏は、暑さと家族のことに翻弄されることになるようです。 ついでに先日愛車のノアちゃんも駐車場でこすって怪我をしていしまい要修理なんですけど、見積もり取ったらけっこうな金額がかかるんでなかなか入院させられない。 踏んだりけったりだぞぉ。。。[たらーっ(汗)]

 


ユーザー車検 [日記]

愛車のノア君、この4月ではや3年が経ち、車検を受ける時期となりました。 ディーラーや近所のスタンド(整備工場も経営している)などで見積もりを取ってみて、ふと、「継続検査」の費用がバカにならないことに気づいてしまい・・・。 トレーラーの方々はよくやっていた「ユーザー車検」ってどうなの?的な興味がモコモコとわきあがってきて・・・。 検査だけならそのまま通るってディーラーさんも言っていたし、それなりに距離も走っているから、点検や整備はキチンとやりたい、でも、費用は節約したい! で、行って来ました所沢陸運局。 今年は桜が早かったから~、エイプリルフールに満開ですよ。[かわいい]

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さて、当日はまずC棟で印紙を購入。 4月から自賠責保険が値上がりっていうので、3月中に下見を兼ねて25ヶ月の保険に加入しておきました。そのほうが4月から24ヶ月に入るより¥2,000位安くなると下調べしておいたので、前の週に行って保険の加入と用紙の購入は済ませておきました。 このあたり、ヒマなのとみょ~な所に細かい(?)私の性格をうかがいしることができますねぇ。[あせあせ(飛び散る汗)] 印紙の窓口にお金を払って用紙を出すと、ちゃんと貼り付けてから別のお姉さんが渡してくれます。

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次に必要書類一式を揃えて、B棟のユーザー車検受付窓口へ。 予約はネットでしてあるので、番号が書いてある紙も添えて出します。 すると、担当のお兄さんより初めての人は「見学コース」を見てから5番のラインに並ぶようにとの支持が。

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所沢の陸運局は他にもナンバープレートを出してもらうA棟がありますが、こっちには今回は用事なし。 ホントなら長野ナンバーから所沢ナンバーに換えたいところだけど、車庫証明を取るのとか大変だし、ほとんどの方は引越ししてもハンバー変更はやりませんよ~とディーラーにもスタンドの人にも言われたので・・・。[バッド(下向き矢印)] 埼玉県での長野ナンバー、目立つので駐車場では見つけやすいけど、田舎者だとバレているようでなんだかフクザツです。 まぁ、他県ナンバーは怖いものなし(?)って考え方もあるけどさ。

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さて、見学を終え、やっぱりホイールのカバーはちゃんとはずさなきゃいけないことに改めて気づき、でも、朝はずそうとしたけどなかなか外れなかったので・・・、仕方なくラインの入り口で検査をしているお兄さんに「ホイールカバーのはずし方がわからないんですっ!」っと訴えてみたら、あのタイプなら力を入れて手前に引けば外れますと言われ、思い切ってやってみたら外れました! 尻もちついたけど・・・、軍手持ってなかったので、手が真っ黒になったけど・・・。 で、めでたくラインに並びます。 お兄さんに元気良く「初めてですっ!」と訴えると、「係員が付いて説明しますから」と言ってもらえ、一安心。[黒ハート] ライトやウインカーをつけたり、ワイパー動かしたり、タイヤのボルトをコンコン叩かれたり、ボンネットを開けてワイパーの下にあるフィルターを中から外すと、なんと車体番号がこんな所に書いてあったのね! 持ち主はこの車の車体番号ってどこにあるのかしら~と思っていたのだけど、やはりプロはなんでもご存知なのですね。 

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さて、建物に入ると係りのお兄さん(おじさん?)が来てくれて、ずっと懇切丁寧に支持してくれます。 ちょっと難しかったのが「40キロまで速度を上げたところでパッシング」ってやつで、加減がわからず50キロくらい出ていたりして・・・。 ネットで調べたとおり、検査自体はあっという間に終了。 案ずるより産むが易しでした。[手(チョキ)] 

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検査が終わったらまたB棟に行って窓口に書類を出すと、新しい車検証とシールがもらえました。

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不思議だったのは「所沢陸運局」で検査を受けたのに、車検証は「長野陸運支局長」って書いてあるのよね。 車検証はコンピューターで出力されるから、全国オンラインなんですね~。 ちょっと前までは長野ナンバーは長野陸運局でしか車検ができないのかと思っていたので、全国どこでもいいって知って驚いたけど、車検証だって全国どこでも出せるんですね。

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所沢近辺にはキャンピングカーのビルダーや代理店も多いので、この日もトレーラーや自走のでっかいヤツが車検を受けてました。 車検場の写真ばかりじゃ殺風景なので、下見に行った日に花見に寄った所沢航空記念公園でのチョビの笑顔をUP[わーい(嬉しい顔)] 笑ってるんじゃなくて「暑いだけ」なのかもだけど。[たらーっ(汗)]

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消失記念日 [日記]

南牧の家が家事で無くなってから、ちょうど今日で2年。今朝、カレンダーを見ていて気がついてしまった。

あの日は別府の親の家にいた。 車を買い替えて、車中泊で四国を回り、佐多岬からフェリーに乗って別府へ付き、親を旅行に連れて行く予定でガイドブックを買い込み、「明日ゆっくり見ようね~」と言って就寝した翌朝、朝の5時ごろだったか、南牧の友達から自宅が家事だと電話が入った。

旅行の話はあえなく立ち消え、地元警察署からの電話で、家はすでに全焼、何も残っていない状態だとわかった。 あわてて帰っても仕方ないので、週末の高速道路割引を使って群馬に戻った。 待っていたのは片付け途中の無残な自宅。 中途半端に焼け残った道具たち。

近所の人たちに「ホントにいなくて良かったわね~」と繰り返し言われた。 いたらおそらくこの世の人ではなくなっていただろう。 地形的に逃げ場のない状況だった。 出火時間も明け方だったから、寝ぼけていて逃げられなかっただろう可能性が高いし。

「災難」っていうのは、どう気をつけていても避けられないものだと、あのときに実感した。 翌年起こった大きな震災のことを考えても、やはり「災難」は避けがたいもの。 つまりは「運命」なんだ。

「不幸中の幸いだったよね」「あなたは運が強いのよ」「神様は耐えられる能力のある人に試練を与える」とか、友人たちは色々なことを言ってくれる。

ここ数年の出来事で、自分はずいぶん変わったと思う。 変わらざるを得なかった。 起こってしまったことは無かったことには出来ないから、事実を噛みしめながら、現状を見つめていくしかない。

仕事をなくしたことは大変なことだ。 でも、その分自由な時間を持つことが出来た。 家財道具をなくしたことは悲しいことだ。 でも、その分身軽になれた。 親と離れてしまったことは寂しいことだ。 でもその分身近な人を大切にしようと思える。

ポジティブにがんばることだけが価値あることだとも思わなくなった。 疲れたら休む、弱音も吐く。 涙を流し、独り言を言い、自分の弱さも認めてあげる。 そのたび、愚痴を聞かされる友人には申し訳ないと思うが、いてくれて感謝・感謝だ。

今年の終わりごろ、生まれてきて半世紀。 確実に人生は「半分」終わってる。 でもまだまだ続くであろう自分の人生。 いつぱったりと終わっても悔いないように、やりたいことはやっておかなくちゃと思う。 動き回ることもそうだけど、一箇所にじっとして、じっくり平穏な毎日を大切にすることも人生の楽しみだと思うし。

さて、これから何が起こるだろう? 楽しいことがたくさんありますように♪

文章ばかりでつまらない日記なので、チョビの最新映像をUPしておきます。

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唯一の(?)まともな家財道具であるベッド。 チョビと私の安らぎの場。

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チョビおはよ~ってひっくり返してみたら「萌え~」のポーズでご挨拶。

この子がいる限り、どっかへ行方不明になんかなれない。 大事な「わが子」です。[揺れるハート]


埼玉です [日記]

なんと!7ヵ月半ぶりの更新です。 チョビママはどこに行ったのか、いったい生きているのか・・・とご心配いただいた皆様。 大丈夫です。 私は元気に生きています。[手(チョキ)]

昨年の夏、北海道を周遊して、私が帰りたい場所は両親が移住した九州ではなく、自分が育った埼玉なのだと思いました。 しかし埼玉にはすでに実家もなく、私には定職がなく、希望のところに住むことはそれほど簡単なことではありませんでした。 それでも、友人のつてをたどり、力を借り、やっと念願の埼玉県に部屋を借りることが出来ました。 [るんるん]

今年の冬はことのほか寒く、古い木造のアパートは風通しが良いせいか(?)朝方の室温は限りなく0度に近くなったりもしました。 埼玉ってこんなに寒かったっけ?? それでも寒冷地のように水道が凍りつくこともなく、歩いて行ける距離にスーパーもあり、車で10キロ圏内にたくさんの図書館やショッピングモールなどもある便利なところです。

昨日は久しぶりに暖かく、3月下旬の陽気とやらに誘われてチョビとのんびり散歩を楽しみました。 この町には何故かカッパが住んでいるようです。DSC06476.jpg

水路のある遊歩道なのですが、なかなか良い雰囲気の散歩コースです。[揺れるハート]DSC06477.jpg

荒川の土手もいつもの散歩コース。 広々とした雰囲気はまさに「関東平野~」って感じです。 お天気が良いと富士山もきれいに見えます。[ぴかぴか(新しい)]DSC06482.jpg

まだまだ寒くて体も硬くなってしまいがちですが、あとひと月もたては春も本番。 関東近郊の山に出没の予定です。

さて、2012年のチョビママ日記、やっと始動いたします。(ゆっくりとですが・・・)[わーい(嬉しい顔)]


山に登ること [日記]

今年の春で、山に登ることを趣味にしてから8年になる。

20代のころは空前のスキーブームで、冬になるとスキー場にに出かけていたけど、高校のときの遠足で奥武蔵の山を無理やり歩かされてから、山に汗だくになって登るなど気が知れないな~と思っていた。スキーも30代になってから仕事に熱中していて丸7年まったくご無沙汰だった。ふとしたきっかけでインターネットで探したスキークラブの合宿に参加し、まったく技術の変わったスキー(カーヴィングスキー)に驚き、また熱中するようになった。 スキークラブで知り合った人に「6月の始めにマチガ沢雪渓で大会があるから行ってみない?」と誘われた。 そのときは「雪渓」という言葉さえ知らずにいた。 「スキーブーツとヘルメットをザックに入れて、トレッキングシューズを履いて板は担いで30分ぐらい登るからね。」と言われたので、急遽ザックとシューズを購入し現地に赴いた。 マチガ沢雪渓は谷川岳にあり、6月の新緑はそれはきれいで、世の中にはこんなにさわやかできれいな場所があるのかと思った。 大会はSLで、もちろんリフトなどないので歩いて登る。 コースは主催クラブの人たちがきれいに整備してくれる。 午前1本、午後1本。 あとは雪の上にシートを敷いてのんびりお弁当を食べる。 下山後は温泉旅館に泊まってご馳走と温泉。

スキーの準指導員の試験に合格した春。 なにか通年で楽しめる趣味がもてたらなと思った。 当時は西武池袋線の沿線に住んでいたので、駅に手軽に行ける山のパンフレットが置いてあった。 ザックとシューズは先の大会で所持していたので、これはお金もかからないし手軽かなと、ひとりで歩いてみた。 自分は心肺機能も低いし、長距離を黙々と歩くなんて向かないと思っていたけど、やってみるとコースタイム通りに歩けていたし、結構快適に楽しめた。 さっそくスキーの仲間で山登りをやっている人たちに色々聞きまくった。 入門書の類を買い漁り、遭難に関しての本も読みまくった。 関東では梅雨以降は近郊の低山は虫が多く、暑くて登れなくなる。 すぐに2,000m以上の高山へ目が行くようになった。 右も左もわからないので、ガイドが主催する登山学校、都岳連が主催するトレッキングスクール、長山協の主催する登山教室など、利用できるものは何でも参加して、あちこちの山に出かけてみた。 お金がかからないはずが、すぐに登山靴、ザックなど高山向き、小屋泊まり用などが必要になった。 クライミングも習ってみた。 冬山や山スキーも経験した。

夏山に関しては、団体山行にはすぐに自分には向いていないと感じた。 山岳会も探したけどどうも肌に合わない。 私はひとり暮らしが長いせいか、人と一緒の部屋だと熟睡できない。 小屋では一睡もできないことが何度もあった。 山を歩き始めて最初の夏には単独でテントを背負って歩くことを覚えた。 中高年になってから始めた山だから遭難だけは避けなければと思い、装備はお金に糸目をつけず、最良・最軽量で自分にあったものを買い集めた。 それでも最初に背負ったテント山行のザックは15キロになっていたと思う。 緊張しながら最初のテント山行は蓮華温泉から白馬大池まで。 白馬や朝日岳を周遊するはずが雨にたたかれ、足を豆だらけにしての敗退だった。 次は9月の3連休に槍ヶ岳へ。 上高地からだと人が多くていやなので、わざわざ飛騨側の西鎌経由。 双六小屋横のテン場で強風に煽られ、ボーゼンとしていると見知らぬ登山者がテントを張るのを手伝ってくれた。 西鎌は槍の直下まで穂先が見えない。 永遠に続くように思われたきつい登りで、小屋に着いたらまずトレイに行こうと思っていたのに、穂先が見えた途端にそんなことはすっかり忘れ、ザックを小屋横にほっぽり出してカメラだけ持って穂先に取り付いていた。DSCF0085.jpg

槍の肩にあるテン場は稜線上に棚田のように作られていて、眺望は抜群。 その代わり風は強い。前日の双六ですでに強風にたたかれ、自信をつけていたので不安なく泊まれた。 朝方テントに水滴がついていたので指ではじいてみたら、それは水ではなく氷で、9月とはいえ標高3,000mのすごさを感じた。DSCF0101.jpg

翌朝の槍ヶ岳。DSCF0105.jpg

登山地図を見ていて、どうしても気になるコースがあった。 黒部峡谷にある「下の廊下」だ。 山登りのコースではないけれど、1年のほとんどを深い雪に閉ざされ、一般の人が通れるのはたったひと月ほど。 峡谷沿いにつけられた道は人一人がやっと通れるくらいの幅しかなく、山側にワイヤーが通してあるものの、足を踏み外せばそのままかえらぬ人になるようなスリリングなコースだ。 ガイド登山を探してみたり、山で知り合いになった人を誘ってみたりしたけれど、結局都合があわず、それでもどうしても行きたかった。 阿曾原の小屋に問い合わせをすると「県警の正式許可はまだ下りていませんが、すでに整備は終わっています。スノーブリッジがありますが、はしごなどの設置は終わっていますから大丈夫ですよ」とのこと。 「スノーブリッジ???」なんのことやらわからないまま、まぁ単独だし、「怖いなぁ、無理だなぁ」と思ったらその時点で来た道を引き返せばいいやと決行することにした。 朝一番で扇沢から黒部ダムへ。 ダム直下に下りてスタート。 すぐに単独の初老男性とご一緒することになり、途中からはもうひとりテントを背負った単独男性とも同行することになった。 まだ紅葉には早いけど、それでもスケールの大きな景観に圧倒されながらの楽しいトレッキング。DSCF0245.jpg

阿曾原の小屋は冬には完全に畳まれてしまう小さな山小屋。 でも小屋横には立派なテン場があって温泉まである。 石鹸もシャンプーも使えない風呂なんて・・・と馬鹿にしていたけど、今までこれ以上気持ちのよいお風呂に入った覚えがないくらい心地よいものだった。DSCF0269.jpg

翌日は欅平まで歩いて憧れのトロッコ電車(黒部峡谷鉄道)へ。 糸魚川経由で電車、バスを乗り継ぎ、扇沢に置いた車を取りに行き、帰路に着いた。DSCF0343.jpg

この年の秋、常念・蝶ケ岳を周遊していて、蝶ケ岳からの下りでザックに白いトイプードルを背負ったご婦人と出会った。 ご主人と息子さん3人のパーティーだったが、「置いていくのもかわいそうでね~」と、おかげで日帰り山行しかできないと言っていたが、これを見て「この手があったか!」とひらめくものがあった。 ずっと「尻尾の生えた家族」が欲しかった。 当時はトリミングの学校に行っていたこともあり、チョビを迎えたのは山を始めて2年目の9月だった。 それ以来、ほとんどの山はチョビを同行している。 始めはこんな小さな犬が険しい山道を歩けるはずがないと、ベリーキャリーを改造したザックに大事に背負っていたのだが、ザックにチョビを乗せると軽く10キロ。 案外歩かせてみたらいけるんじゃないかとやってみたらその健脚には驚くばかり。 今では岩場でもちょいとつまんであげればスイスイと登っていくようになった。 チョビが来てからいったいいくつの山に登っただろう。 今年の夏で7歳になるチョビ。 もう高齢犬の仲間入りをしてしまう。 まだまだ一緒に行きたい山がたくさんある。 今年もあっちこっちに出かけたいと思う。

NHKの「グレートサミットへの招待」という番組を先日録画していて、今日たまたま見ていたら、印象的な言葉に出会った。 キャスターが田部井淳子さんに「人は何故頂上を目指すのか」と問うと、「知らない所が見えるから」と答え、「登らないとわからない?」との問いに「(登らないと)わからない、 知らないことを知るって言うのはすごく刺激的ですし、自分が生きてるってことを感じられるので、やっぱり頂上はすばらしい」と。 今の私は高い山や日帰り不可能な大きな山には行けないけど、その制約を踏まえたうえで、未知の場所を尋ね、「今生きている」ことを実感し続けたいと思っている。 なにより、山は気持ちのよいところだから。