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入所 [日記]

 みなさま、大変ご無沙汰しております。 なんと!1年以上も更新をしていなかったこのブログ、しかし一番新しい記事の閲覧数は少しずつ増えているので、リアルに面識のあるみなさんが「あいつ、生きてるのか?」と思いつつたまにのぞいてくれているのかな~と思って、たまには書かなきゃな~と思い続けていました。

昨年の夏、移住先の九州から両親が埼玉に戻ってきて、いきなり始まった認知症との関わり。 落ち込みながらも周りの方々の助けを受け、なんとか在宅で介護をしてきましたが、このたび急きょ父の特養入所がかないました。

所沢は特養の件数が多い市で、既存施設が約10件、今年の秋に新設されたところが1件。通常は何年待ち、何百人待ってますなんて言われるんですが、新設なら数十名いっぺんに入れるので、秋にできるところには入れるだろうと期待していたら、結局選に漏れ、次に来年春にまた一軒新しい特養ができるので、そっちには入れるのかしら…と思っていた矢先に、既存の小規模な施設からお声がかかりました。

友人たちに「うちの父、特養に入れたの」と言うと「よかったね~」と言ってくれるのですが、いざこうなってみるとなんだかヒジョ~に複雑な気分。 うちの家族は特養入所に対して誰も反対していなかったし、望んでいました。 何度か家を出て行って路上で転び、先日は救急車で収容されちゃったりもしたし。 夜もちゃんと寝なかったりするから、母は体が持たないし、だんだんトイレも難しくなってきてたし。 でも、まだしゃべるんだよね。ちゃんとした会話は成り立たないんだけど。 「何で俺がこんなところに行かなきゃいけないんだよ」と父は言い、弟が「お父さんの安全の為だよ」と説得していました。 ほかの入所者の方はほとんどしゃべれない。車いすにヘッドレストがついている人が多いです。 父は危なっかしいけどまだ歩いていて(だから余計に危ないんだけど)一見すると元気そう・・・。 でも、もう自由にどこかに出かけることはできないんですよ。

待っていたことなんだけど、よかったことなんだけど、手放しで「おめでとう」とは言えない出来事。 同じようにお母さんを特養に入所させた友人は「よかったね」とは言わず、「その気持ちわかるわ」と言ってくれました。

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ともあれ、父のことは介護が終わったわけではないけど一段落。 私はといえば、チョビを留守番させて仕事に行けるようになりました。 まぁ、アルバイトなんですけどね。[あせあせ(飛び散る汗)]


特養 [日記]

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やっと秋めいてきて過ごしやすくなり、今日は市内の特養(特別養護老人ホーム)の申し込みに行ってきました。 施設の申し込みは3件目。

8月上旬に父は要介護4、母は要支援2の認定をもらいました。 市から送られてきた介護認定を見て思ったより数字が大きかったことに驚き「これはかなり深刻な状態だ」と改めて認識したのですが、慌てた所で出来ることといえば、父にはお泊りさせてもらえる小規模なデイサービスに通わせることと、母にはリハビリとレクリエーションを兼ねたデイサービスに通わせることだけでした。 父には薬の調整が必要かと精神病院に入院もさせたのですがあまりに身体拘束が厳しかったのでビビッてしまい5泊で退院。 その後薬を減らしたらメキメキと元気(?)になり、自己主張だけははっきりとするワガママな認知症患者となっています。

今月に入ってから父の介護に対する意見が家族間で衝突し、私は体調を崩して少々寝込み、なんとか復帰して今日の施設訪問となったのですが、対応してくれた相談員さんと諸々のことを話し、「あまりにも厳しい現実」を認識させられて、また具合が悪くなりそうです・・・。[もうやだ~(悲しい顔)] 施設は新しく、すごくきれいで立派(広い個室が与えられるし)だけど、ハードが介護の質(もちろん入所者の幸せ度)を決めるわけではなく、運よく施設に入れたとしてもすべてそれで終わりってこともないわけで。

で、直近で私に出来ることといえば、市内にはまだ十数件の施設があるので、そちらへもれなく申し込みをすることと、他に病院を探すとか、有料のホームや老人専用の住宅も安いところがあるそうなので探してみたらいいのじゃないかとか。 なんとしても避けたいのが介護による家族の「共倒れ」で、父と母両方が施設や病院に入るなんてことになると、経済的な困窮も目に見えているんだよね。 家族間での意見調整や協力も必要だけど、血は繋がっていても他の人の考えや行動を変えるのはなかなかに難しい・・・。 自分のことを自分で決められなくなるってことは、やっぱり大きな悲劇だなぁと思うのでありました。

親のこともだけど、すぐ先には自分の「老後(あるのか?)」も迫ってくるわけで、そっちも真剣に考えなきゃいけないのかしら・・・。 でも考えてもしょうがない部分もいっぱいありそうだな。 一番大切なのは有限な「今っていう時間」を最大限に楽しむことだと、つくづく思うのでありました。 あぁ・・・、山に行きたいわぁ。[たらーっ(汗)]


ヨウシとヨウカイ [日記]

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今月に入ってから、ずっとヨウシとヨウカイを待っている。 何の話かというと、両親の介護認定の話。 ヨウシは母の要支援、ヨウカイは父の要介護認定だ。 父が認定疾患の申請をしたのが4月上旬。パーキンソン病だというので、遠方の九州で老人二人暮らしはもう無理だと判断し、弟と相談の上、5年前まで住んでいた埼玉に転居させることにした。 私も県内だが、諸々の手続きや病院探し、送り迎えなどを考えて両親の近くに住めるよう6月中に転居した。 7月1日に転入の手続きと同時に介護保険の申請をした。 介護保険は申請から認定が降りるまで、ひと月からひと月半はかかるとのこと。 引越し早々に父は何度も転倒し、怪我をし、食事を取らなくなったことで市内の病院に入院し、転居前から予約していた小平にあるそのスジでは有名な国立病院で詳しい検査をして、診断結果をもらうこととなった。 いつの間にか、完璧な「認知症患者」となって、今、引っ越してきたばかりの家をやっと「自分の家」と認識しつつある。

最初にもらった病名は「パーキンソン病」だった、10年以上前は「むずむず足症候群」だったようだけど、その後だんだんと症状は進行して、脳は確実に変化して行ったようだ。 こちらの病院でついた診断は「レビー小体型認知症」精密検査の結果、パーキンソン病、脳内に動脈硬化もあり、アルツハイマーも合併しているそうだ。 医者は思ったより深刻で、治療の方法はないと言った。 もうすでに「医療」より「介護」の段階に入ったのだと、やっと理解した。

まだ筋力があり、歩きたがって立ち上がり、しかしバランスを保てずに転倒しやすい状態。 認知能力は落ちているけど、拘束されるのは当然嫌がり、要求が通らないと不機嫌になる。 レム睡眠行動障害とう、やっかいなおまけつきである。 入院させるとしても「社会的な入院」になりそうで、この状態の患者を受け入れる先はなかなか見つからない。 デイサービスなども受け入れ先はかなり限定されるだろう。 探してもらってはいるが、短期間でのことでなかなか話は進んでいかない。 父はおそらく「要介護認定」は降りるだろうとのことで、ケアマネさん(になる予定の人)と相談し、暫定で昨日から身体介護のヘルパーさんに来てもらっている。 要介護は1~5まであるけど、どのランクになるかで使えるサービスがかなり違ってくる。 せめて「ヨウカイ2」は欲しいのだけど・・・。 母は持病があるので要支援(ヨウシ)の認定を待っている。 父の介護もあるし、体力を落とさないよう、リハビリだけでも受けられるといいのだけど。

人は長生きすると必ず病気になるんだな。 長生きと引き替えに色々な代償を払うのだな。 日本の医療はとても優れているけれど、どれも高価なサービスであることに変わりはないな。 だけど、今のところ使い切れないほどのお金があっても「不老・不死」は買えないようだが・・・。 

今年の夏は、暑さと家族のことに翻弄されることになるようです。 ついでに先日愛車のノアちゃんも駐車場でこすって怪我をしていしまい要修理なんですけど、見積もり取ったらけっこうな金額がかかるんでなかなか入院させられない。 踏んだりけったりだぞぉ。。。[たらーっ(汗)]

 


ユーザー車検 [日記]

愛車のノア君、この4月ではや3年が経ち、車検を受ける時期となりました。 ディーラーや近所のスタンド(整備工場も経営している)などで見積もりを取ってみて、ふと、「継続検査」の費用がバカにならないことに気づいてしまい・・・。 トレーラーの方々はよくやっていた「ユーザー車検」ってどうなの?的な興味がモコモコとわきあがってきて・・・。 検査だけならそのまま通るってディーラーさんも言っていたし、それなりに距離も走っているから、点検や整備はキチンとやりたい、でも、費用は節約したい! で、行って来ました所沢陸運局。 今年は桜が早かったから~、エイプリルフールに満開ですよ。[かわいい]

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さて、当日はまずC棟で印紙を購入。 4月から自賠責保険が値上がりっていうので、3月中に下見を兼ねて25ヶ月の保険に加入しておきました。そのほうが4月から24ヶ月に入るより¥2,000位安くなると下調べしておいたので、前の週に行って保険の加入と用紙の購入は済ませておきました。 このあたり、ヒマなのとみょ~な所に細かい(?)私の性格をうかがいしることができますねぇ。[あせあせ(飛び散る汗)] 印紙の窓口にお金を払って用紙を出すと、ちゃんと貼り付けてから別のお姉さんが渡してくれます。

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次に必要書類一式を揃えて、B棟のユーザー車検受付窓口へ。 予約はネットでしてあるので、番号が書いてある紙も添えて出します。 すると、担当のお兄さんより初めての人は「見学コース」を見てから5番のラインに並ぶようにとの支持が。

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所沢の陸運局は他にもナンバープレートを出してもらうA棟がありますが、こっちには今回は用事なし。 ホントなら長野ナンバーから所沢ナンバーに換えたいところだけど、車庫証明を取るのとか大変だし、ほとんどの方は引越ししてもハンバー変更はやりませんよ~とディーラーにもスタンドの人にも言われたので・・・。[バッド(下向き矢印)] 埼玉県での長野ナンバー、目立つので駐車場では見つけやすいけど、田舎者だとバレているようでなんだかフクザツです。 まぁ、他県ナンバーは怖いものなし(?)って考え方もあるけどさ。

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さて、見学を終え、やっぱりホイールのカバーはちゃんとはずさなきゃいけないことに改めて気づき、でも、朝はずそうとしたけどなかなか外れなかったので・・・、仕方なくラインの入り口で検査をしているお兄さんに「ホイールカバーのはずし方がわからないんですっ!」っと訴えてみたら、あのタイプなら力を入れて手前に引けば外れますと言われ、思い切ってやってみたら外れました! 尻もちついたけど・・・、軍手持ってなかったので、手が真っ黒になったけど・・・。 で、めでたくラインに並びます。 お兄さんに元気良く「初めてですっ!」と訴えると、「係員が付いて説明しますから」と言ってもらえ、一安心。[黒ハート] ライトやウインカーをつけたり、ワイパー動かしたり、タイヤのボルトをコンコン叩かれたり、ボンネットを開けてワイパーの下にあるフィルターを中から外すと、なんと車体番号がこんな所に書いてあったのね! 持ち主はこの車の車体番号ってどこにあるのかしら~と思っていたのだけど、やはりプロはなんでもご存知なのですね。 

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さて、建物に入ると係りのお兄さん(おじさん?)が来てくれて、ずっと懇切丁寧に支持してくれます。 ちょっと難しかったのが「40キロまで速度を上げたところでパッシング」ってやつで、加減がわからず50キロくらい出ていたりして・・・。 ネットで調べたとおり、検査自体はあっという間に終了。 案ずるより産むが易しでした。[手(チョキ)] 

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検査が終わったらまたB棟に行って窓口に書類を出すと、新しい車検証とシールがもらえました。

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不思議だったのは「所沢陸運局」で検査を受けたのに、車検証は「長野陸運支局長」って書いてあるのよね。 車検証はコンピューターで出力されるから、全国オンラインなんですね~。 ちょっと前までは長野ナンバーは長野陸運局でしか車検ができないのかと思っていたので、全国どこでもいいって知って驚いたけど、車検証だって全国どこでも出せるんですね。

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所沢近辺にはキャンピングカーのビルダーや代理店も多いので、この日もトレーラーや自走のでっかいヤツが車検を受けてました。 車検場の写真ばかりじゃ殺風景なので、下見に行った日に花見に寄った所沢航空記念公園でのチョビの笑顔をUP[わーい(嬉しい顔)] 笑ってるんじゃなくて「暑いだけ」なのかもだけど。[たらーっ(汗)]

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消失記念日 [日記]

南牧の家が家事で無くなってから、ちょうど今日で2年。今朝、カレンダーを見ていて気がついてしまった。

あの日は別府の親の家にいた。 車を買い替えて、車中泊で四国を回り、佐多岬からフェリーに乗って別府へ付き、親を旅行に連れて行く予定でガイドブックを買い込み、「明日ゆっくり見ようね~」と言って就寝した翌朝、朝の5時ごろだったか、南牧の友達から自宅が家事だと電話が入った。

旅行の話はあえなく立ち消え、地元警察署からの電話で、家はすでに全焼、何も残っていない状態だとわかった。 あわてて帰っても仕方ないので、週末の高速道路割引を使って群馬に戻った。 待っていたのは片付け途中の無残な自宅。 中途半端に焼け残った道具たち。

近所の人たちに「ホントにいなくて良かったわね~」と繰り返し言われた。 いたらおそらくこの世の人ではなくなっていただろう。 地形的に逃げ場のない状況だった。 出火時間も明け方だったから、寝ぼけていて逃げられなかっただろう可能性が高いし。

「災難」っていうのは、どう気をつけていても避けられないものだと、あのときに実感した。 翌年起こった大きな震災のことを考えても、やはり「災難」は避けがたいもの。 つまりは「運命」なんだ。

「不幸中の幸いだったよね」「あなたは運が強いのよ」「神様は耐えられる能力のある人に試練を与える」とか、友人たちは色々なことを言ってくれる。

ここ数年の出来事で、自分はずいぶん変わったと思う。 変わらざるを得なかった。 起こってしまったことは無かったことには出来ないから、事実を噛みしめながら、現状を見つめていくしかない。

仕事をなくしたことは大変なことだ。 でも、その分自由な時間を持つことが出来た。 家財道具をなくしたことは悲しいことだ。 でも、その分身軽になれた。 親と離れてしまったことは寂しいことだ。 でもその分身近な人を大切にしようと思える。

ポジティブにがんばることだけが価値あることだとも思わなくなった。 疲れたら休む、弱音も吐く。 涙を流し、独り言を言い、自分の弱さも認めてあげる。 そのたび、愚痴を聞かされる友人には申し訳ないと思うが、いてくれて感謝・感謝だ。

今年の終わりごろ、生まれてきて半世紀。 確実に人生は「半分」終わってる。 でもまだまだ続くであろう自分の人生。 いつぱったりと終わっても悔いないように、やりたいことはやっておかなくちゃと思う。 動き回ることもそうだけど、一箇所にじっとして、じっくり平穏な毎日を大切にすることも人生の楽しみだと思うし。

さて、これから何が起こるだろう? 楽しいことがたくさんありますように♪

文章ばかりでつまらない日記なので、チョビの最新映像をUPしておきます。

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唯一の(?)まともな家財道具であるベッド。 チョビと私の安らぎの場。

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チョビおはよ~ってひっくり返してみたら「萌え~」のポーズでご挨拶。

この子がいる限り、どっかへ行方不明になんかなれない。 大事な「わが子」です。[揺れるハート]